CREATOR FILE Vol.01(Interview ver.)

Flower atelier Eika

草刈英花(くさかり・えいか)さん

 


 

「40歳で見つけた天職」

 

 

自然の花、葉、枝、果実などを乾燥させ、インテリアとして飾るドライフラワー。40歳で始め、翌年には開業したという「Flower atelier Eika(フラワーアトリエ エイカ)」の草刈英花さん。「ドライフラワーとプリザーブドフラワーの違いすら分からなかった」と笑顔で語るが、どのように始めることになったのか。英花さんの半生に追う。

 

 

中高学校、そして大学と運動部に所属していた英花さん。「テニスを続けていました。高校も仙台の大学もスポーツ推薦で入学。部長を務めたこともありました」と振り返るが、スポーツが得意ではなく、むしろ逆だったという。「人見知りで観察好き。気になるものがあれば何時間でも動かずひたすら観察しているような子ども。絵を描くのが好きで、将来の夢は漫画家。根っからのインドア派でしたね」。テニスを始めた理由を「先輩の誘いを断ることができなかったから」と明かし、「興味を持つととことん集中できる性分。寝ても覚めてもテニスのことばかり考えていました。今では黒歴史ですが」と笑顔を見せる。

大学1年の時、先輩と一緒に組んだダブルスでは東北大会1位に輝く。テニスとしての歩みはまさに順風満帆。しかし、英花さんは突然退部を決意する。「全国一を目指して練習を続けてきたが、まだその先があり上手な人がたくさんいた。かなうことが難しいのであれば、続けていることに意味を見出せなくなりました」。周囲からの反対もあったが耳を貸すことはなく、後悔もなかった。そして、興味のあることは何でも挑戦し、さまざまなアルバイトを経験。髪をピンクや金色などに染め、ピアスもするようにもなる。大学卒業後は仙台に残り、アパレル会社の接客業に就職。「ストリートファッションを続けたかったので」という英花さんだったが、その数年後には弘前へ帰郷することになった。

 

 

運命なのかもしれない

英花さんは当時のことを「人間関係に行き詰まり、希望を持てずにいた」と振り返る。弘前にUターンしたのは26歳。帰郷後は実家の飲食店の手伝いをする傍ら、バンド活動や絵の教室に通うようになる。テニスをやめた後から、英花さんはギターの練習を始めていたという。自身の性分から練習ばかりを続けてしまうため、集中しすぎてめまいや立つことすらままならない日々もあった。「ひとつのことに絞れず集中はできるが飽きっぽい。音楽や絵も与えられたものを続けていたような程度」。しかし、週末は音楽バーに通い、年配の大人たちと一緒に演奏をしたり、楽しんだりする時間を作るようになった。「くだけた人間関係を知り、セッションをすると自分勝手にやるなとよく注意された。振り返ると、社会生活をこの時に学んだ気がする」と英花さん。そして29歳で結婚。34歳で出産を経験。仕事から離れ、主婦に専念。子どもができたことによって生活にバランスがとれるようになった。

 

 

ドライフラワーは新しい趣味を見つけるためだった。「人生の後半戦を長く続けられるものを探していた」。友人に誘われて作ってみると自然物を乾燥させて組み合わせていくといった工程や、ドライフラーによって生まれる空間の影に魅力を感じた。ドライフラワーを始めるまで周囲からは「もっと好きなことをすればいいのに」「楽しいことをやれば」といった声も後押しになっていたという。「私は人に恵まれている」と感謝する。

 

 

現在は自宅をアトリエにし、ドライフラワーを制作。評判は口コミで広がり、店頭販売はもちろん、家や店舗のディスプレイとして飾ってほしいと、空間全体をプロデュースすることもある。「家の中がドライフラワーに埋まってしまい、家族からは不満も(笑)。当面の目標は自分のアトリエを持つこと」と英花さん。「まだ一年。季節のサイクルが分かり、草木のことも少しずつ分かるようになってきた。次にやれることが見えてきた段階で、楽しみしか感じない」と話す。「自分の名前は、この仕事をするためにつけられたような気がする。これは運命なのかもしれない」。

 

 

 

取材 文・写真:工藤健