CREATOR INTERVIEW VOL.02

FUNKY STADIUM

秋元名歩(あきもと・なお)さん

 


 

子供ながらに感じた達成感が自分の原点

 

 

 

エンターテイメントとしてだけではなく、言葉の壁を越え、自身を表現するコミュニケーションツールとして世界中で人気を集めるダンス。現在では弘前も「ダンスの街ひろさき」を目指し、市内では多くのダンスイベントやスクールが存在しているが、その背景にはダンスに魅せられた人たちの活躍があり、秋元名歩さんもそのひとり。ダンスとの出会い、そして仕事になるまでのストーリーを聞いた。

 

バレエから始まったダンス人生

名歩さんとダンスの出会いは4歳の頃。親に連れられて行った黒石市のバレエ教室で体験したクラシック・バレエが始まりだった。「まだ4歳だったので暇を持て余していて、とにかくバレエが楽しかった」と当時を振り返る。小学5年生のときには、通っていたダンススクールの先生がニューヨークで公演をする機会があり、名歩さんもダンサーとして出演。「大きな歓声やスタンディングオベーションに衝撃を受けた。それを生み出すダンスにパワーを感じて、こういうことをもっとやりたいと思うようになった」という。

 

 

中学からは当時流行っていたSPEEDやDA PUMPの影響もあり友達とストリートダンスに打ち込み、ジャンルを超えてダンスそのものに惹かれていく。学校の文化祭ではクラス対抗でダンスの発表会があり、振り付けを担当。プレイヤーとしてだけではなく、踊りを人に教えること、作品としてプロデュースすることの楽しみを覚えていった。ダンス部がなかった高校では署名を集めてダンス同好会を作り、大学では休止していたダンスサークルを仲間と一緒に復活させて活動する傍ら、全国のダンスコンテストにも出場するなどダンス漬けの日々。人の繋がりが新しい機会を呼び、弘前市内の公民館で子供にダンスを教えるなど、気がつけばインストラクターとしての活動もスタートしていた。

 

 

ダンスへの情熱が人を動かし、仲間を作りながら次々にやりたいことを実現させていく中でも、当時はダンスを仕事にするという発想はなかったという。「親に迷惑をかけたくないということもあったが、そのときは単純にやりたいことを(仕事として)考える力がなかった」と振り返る名歩さんは大学卒業後、保険会社に入社。事務や窓口担当として約5年の社会人生活を経験することになる。
仕事をしながらもダンスは続けていた2008年。県立美術館で舞台芸術企画「アレコ」という作品を発表する機会があり、ダンサーとして出演することになった。ストーリー仕立てのストリートダンスに挑戦したことで、子供の頃ニューヨークで味わった達成感を思い出し、「やっぱりダンスが好き、これを仕事にしたい」と強く思うようになった。その後仕事を辞めて、2011年に同じダンス仲間が立ち上げた弘前市のダンススタジオ「ファンキースタジアム」にスタッフ及びインストラクターとして所属。念願だった仕事としてのダンスがスタートする。

 

 

現在では自分が担当するダンスレッスンの他に、ダンスイベントのプロデュース、地元アイドル「りんご娘」の振り付けも担当するなど精力的に活動の幅を広げている名歩さん。「ダンスは色んな楽しみ方ができるカルチャー。踊っているときも好きだけど、振り付けを考えているときが一番楽しいかもしれない。映像やライブで自分の作品が多くの人に見てもらえる喜び。形に残る作品に関わっていきたい」と嬉しそうに語った。

 

 

 

取材 文・写真:下田翼